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きらきら さらさら 流れていく日々のこと
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明野のひまわりのうなじ。

そう、向日葵だもの。
お日様の位置によって、お顔ではなく一斉のうなじ。
眺めてる人たちもみんなうなじ姿だった。
私のうしろに立ってた人から見たら、きっと私もうなじ。






分け入っても分け入っても、青い山

だっけ?

種田山頭火。




子らといろんな話をしながら緑を分け入る。
こないだちょっと読んでた本の内容をもじって質問してみた。



ねぇねぇ。
1年間で、ママに24時間だけ会えるとするよね。

その24時間を、

1年間に1度、丸々1日24時間ぶっ通しで会えるのと、
毎日会えるけれど、毎日4分間だけ。


どっち選ぶ?

別にママじゃなくてもいいよ。
仲良しのお友達でも。ひなちゃんとか、よしき君とかだったらどう?


子らは全員、毎日4分間を即答。


やっぱりそうだよね。そうじゃない人なんているかな。
大好きな人には、例えチラリズムでも毎日会いたいよね。


一生のうちで、あと残り合計24時間しか会えない人がいたら。

毎年1度だけ1時間×24回。
つまり24年間。


一生に1度だけ24時間×1回。
つまり一期一会。



私は24年間、毎年1回1時間を選ぶと思う。







そこらじゅうに落ちている枯れた木の葉に、木の年輪みたいな模様が
あって、何故だろう。なんだろう。
そんなことも思いつつ、ハイキング。
踏みしめる積み重なった枯葉のフカフカの道が足に柔らかくて
気持ちよかった。

都会に暮らしているけれど、
私が毎日吸ってる空気は、こういう山々からの恩恵。
湧き水の冷たくて美味しいお水を飲みながら、
何で蛇口から出て来る時にはあの味あのだろう、
今頃、自宅の水。。。ぬるいだろうなっ。。
そんなことも思ってた。

湖の入り口に小さな素朴なカフェがあった。

でもこのトレッキング道はすごくマイナーだから
やってくる人は、きっと夏でも少ないと思う。

実際に、駐車場に止まっていた車は数台のみ。

窓の向こうからやってきた我が家を眺めているお店の人が
視界の端っこで見えた。

期待されたかな~、って少し申し訳ない気持ちになって、
でもどうしても腹ペコで行かねばならない
お店があったのでごめんなさい、と思いつつ寄りませんでした。



そしてくるまやへ。



安曇野、穂高神社のすぐ脇にある、
接客も、高校生のアルバイトかな?という時もあったりする、
素朴なお蕎麦屋さんなのだけど、

昔よく行ったお店。
今回は11年ぶりかな~。
店内もメニューも、何も変わっていなかった。

気狂いざると、海老天と、モツ煮(馬)

おなじみのものでしみじみ。

最近はさらに有名になってしまって、
特に夏のお昼時はすごく混んでるらしい。

長野のお蕎麦屋さんは、ランチタイムとかディナータイムとか、
そんな時間設定はなく営業時間内はずっとやってるお店が多い。

だから、そういうお店へは、
ちょっと時間をはずして午後遅い時間、
昼ごはんでもなく、夕ご飯でもない、そんな時間に
行くのもとってもいいもの。。。

夏の、夕方の始まる少し前の、
差し込んでいる太陽の光が少しオレンジ色になり始める頃。
空いている店内で食べるお蕎麦。


普通の夕飯時間にお腹が空かなくなってしまうけれど
それもまぁたまになら。
たまにの出来事、として旅の思い出に濃く、
記憶に残るのよね。







ここは10年以上前、まだよちよち歩きだったアヤを連れてきた湧水。
あの頃はあまりの水の冷たさに、
足を入れた途端泣き出した赤ちゃんだったのだが。
まだ土踏まずもなくて、10センチくらいだった、
かわいいぷにゅおぷにゅのあんよだったはずなのだが。
今となっては、なんと26センチ。
土踏まずもしっかりと。(笑)

これ以上大きくならないことをご本人様同様に、願います。







そして2週間後。今夏最後のバカンスは、
だんな君のご両親と一緒に万座温泉。




途中水沢観音へお参り。
神妙にお参りしていたら、お盆に引き続き、
またもや蚊にいっぱい刺されてとんでもないふくらはぎになってしまった。。。
でも私、お線香のにおい、好きだな。



水沢うどんも食べました。
出てきた瞬間、舞茸の天ぷらの大きさといい、
麺の量といい、すごいボリューム、と驚きましたが、



実はざるが上げ底なんかになっていて、ちょっと安堵。
でもちょっぴりしらけた気持ちにも。(^_^;)


しかしだね。


なんでこうも、水沢うどん集落へ行く途中の山道沿いには
いかがわしい怪しげな建物が乱立されてるの?
幸いなことに子らは全員おじいちゃんおばあちゃんの車へ乗っていたから
よかったものの。

もう意味のわかる中学生と、
知ってる漢字の大きな看板は全部声に出して読みたがる小学生のいる
家族には、いい迷惑だと思います。



外気温18度。

白根山は、すっかり初秋の風情。ススキの穂も伸びている。
子らがいないので、私はシートを思いっきり後ろへ引いて、
ファーストクラス並みにふんぞり返り、女王様。
どんどん上に行くに連れて、16度まで下がりました。

東京の半分。。。
窓から流れ込む硫黄のにおい。
深呼吸したら危険だって、わかっているけれど、
腐った卵のようなこのにおいって、
どうしてもクンクンしたくなっちゃう。
好き♪

万座は22年ぶり。
当時はまだ学生だったから、プリンスなんかには泊まれなくて、
民宿に2泊して、
プリンスゲレンデまで送迎してもらい滑ったのでしたわ。

万座プリンス、変わってないけれど、
でもやっぱり年月を感じました。

学生の頃と大人の自分では、目線も違うのかもしれないけれど。
「私をスキーに連れてって」が流行って、
ユーミン全盛期の青春時代を過ごした私にとっては、
万座プリンスでお泊りスキーだなんて、
憧れの大人の世界だったけれど、

何もしなくてもいつかは自分も大人になるし、
真面目に働いていれば泊りにもいける。

人生の大事なこの部分に気付けた大人になりました。



早朝、一人で露天風呂に入っていたら、
(一回り以上は年上の)見知らぬ女性から、

あなたあちら(混浴露天)には行かないの?
一緒に行きましょうよ。

眺めが違うそうよ。
パンフレットの写真はあっちの景色だそうだから。
せっかくきたのだから私は行くわ。
朝だから誰もいないわよ、きっと。

と、
誘われたのだか、演説を聴かされたのだかよくわからないけれど、
お声をかけられました。

(もちろんご遠慮しました。)

早起きの殿方、絶対いるはず。。。
だんな君のお父さんだっているかもしれないじゃん!

(どう考えたって、ありえねぇ。)

まだそういう意味でのオトナの境地までは達しきれてないな。。。
と思った八月最後の週末でした。
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2010年8月
~読売新聞の記事より抜粋

堺市の高倉千代香さん(96)が満州の駅で夫の修さんを
見送ったのは、1944年7月。
妊娠5か月だった。
4ヵ月後、夫の飛行機はフィリピン上空で撃墜される。
遺骨すら見つからず、最後に別れた駅で
「これを自分を思え」と渡された一束の髪だけが
心の支えだったという。
夫の死から一ヶ月後に生まれた正達さんは今、65歳。
「女手ひとつで育ててくれた」と感謝する正達さんは
孝行息子として有名で今年の式典にも母の車椅子を押して
参加した。
でも、
「私一人で育ててきたわけでもない」と千代香さんは周囲に話すという。
夫婦として過ごした年月は長くはないが、その後も思い出に励まされ
癒されてきた。
子育てに迷う時には、
「あなたならどうするの」と心の中で夫に問いかけ、
アドバイスをもらってきたのだろうか。
正達さんも
「父の顔は知らないが、母の中に父を見て育ってきた」と言う。

そういえば精神科医で京大名誉教授でもある木村敏さんが
著書の中で、かけがいのない出会いのことを
「一緒に老いる」と表現していた。

それは必ずしも、何十年を一緒にすごすことを意味しない。
1時間でも10分でも、あるいは一瞬でも、
出会った二人が濃密な時間を共に生きれば、
一緒に老いると言える、と。

人生に離別、死別はつきものだ。
でも、
記憶の中の対話がその後の人生を心豊かにすることもあるだろう。

千代香さんや正達さんが修さんと「一緒」に
年を重ねてきたように。



☆☆☆


15年前。

祖母がまだ元気で、物忘れなどもしなかった頃。
私と久美ちゃんんあてに送ってくれた、
銀細工のペンダントと、達筆の手紙があった。
この手紙は久美ちゃんが今、持っている。

ふと思い出し、もう一度読み返したくなり、
確か書き留めたことがあったのを思い出し
昔の日記を探す。


ありました。



5年前の日記より、その全文。



智子さん、久美子さん

元気でいますか。
6月の初めにバリ島に行ってきました。
貴女達のおじいちゃんが戦死して50年になります。
貴女達のお父さんが3歳でした。お父さんの弟、Yおじさんは満1歳
 とうとうお父さんの顔も知らずに終わりました。
戦地に出発してから時々手紙が来て 戦地の様子等を書いて、又
絵が好きだったので向こふの(南の島)風景等をスケッチして
送ってくれました。
椰子の大きな葉 青い海 白い雲 そんな風景を夢見乍ら
50年たった今も大切に保存してあります。
思いがけなく、結婚式に招かれて 地図を広げたところ
戦地から来た手紙に書かれた島々が近く
最後に敵機に応戦自爆した海にひきつけられて 行って来ました。
二日の夜 夕方から島巡りの遊覧船に乗って
暗い海を見つめ 或いは方向が違ったかもしれないけれど
日本から持っていった庭の押し花を供花の代わりに投じました。

声のない 叫びで投ず 故国の花

バリは宗教の島でとても信仰心の厚い島でした。
寺院が多く結婚式も昔の王宮でしたが 参列者も向こうの服装を借りて
珍しい式でした。
今度写真を見に来てください。
記念に買ったものです。
向こうの人たちはみな手先が器用で感心しました。
いろいろ書きたいけれど年をとったせいか疲れました。

お元気で


☆☆☆

(それに続くこれも5年前の私の日記)

おばあちゃんは今何歳だろう。確かもう80代後半。
今はもうだいぶ身体も小さくなってしまったけれど
昔の写真を見ると 本当に美人でかわいらしい女性です。
もちろん今でもとても上品。
あの戦争で、結婚して3年で夫と死別してしまった。
「とても優しくて、絵が上手で美術の先生にと薦められたけれど
断り士官学校に入学、エリートのパイロットで
女性にもとってももてたのよ。」
この話は何回も聞いた事があった。

結婚3年で小さな子供二人とともに遺された気持ちは
どんなに悲しかったか、と思う。
その後 当時は珍しい事でもなんでもなかったのだろうけれど
婚家に懇願されて、その弟だった人と再婚。
いろいろ気持ちの葛藤もあっただろうけれど
銀行家の妻として華道の教授としてさらに二人の子供にも恵まれて
生きてきた。
同じような境遇の女性はたくさんいると思うけれど
世間的にはとても恵まれていたのではないかなと思う。
もちろん、孫の私にはわからないいろいろな事はあっただろうけれど。
その二番目の夫もこの手紙より2年程前に他界。
二人の夫を見送ったのだった。

この手紙の中には、最初の夫への想いが詰まってる。
すごくすごく好きだったんだろうな。
その後の長い日々の中で、いろんな事を想ったんだろうな。
想わないはずはないもの。

父はその実父である戦死した祖父にとてもよく似ている。
DNAの営みがはっきりと見える。
モノクロの遺影はパイロットの航空服姿。
当時29歳の祖父は悠然と微笑んでいる。
その横に同じく色あせているけれど
やわらかいタッチで描かれた水彩画。椰子の木 青い空 白い雲。
形見分けで一枚もらったのだそうだ。
葉書だろうから、きっと裏には祖父から祖母への手紙も記して
あるのだろうけれど 小さなフレームに入れてあるものを
わざわざ裏返すのは 大事な何かを汚してしまいそう。
他人の恋文は やっぱり見てはいけないもの。

祖父の血液型はB型だったそう。
父もB。私もB。そして私の長女と長男もB。
大事に生きていかなくては



☆☆☆


共に老いる、という言葉。

読んで、涙が出てきてしまったよ。

今、一回り小さくなって、
新しいことはすぐ忘れてしまう祖母だけれど、
15年前は、
こんなに想いのこもった手紙を孫である私達に送ってくれていた。

おばあちゃんも、新しい夫と家族と共に、
戦死した最初の夫である私達の祖父とも
共に、老いて来たのだなって。


新しいことは忘れがちだけれど、昔のことはよく覚えてるって
父が言っていた。



>かけがいのない出会いとは、一緒に老いるということ。
>それは必ずしも、何十年を一緒にすごすことを意味しない。
>1時間でも10分でも、あるいは一瞬でも、
>出会った二人が濃密な時間を共に生きれば、
>一緒に老いると言える、と。


いい言葉だなぁ。心から思う。

そして、

なんて幸せな時代に生きている自分達。
戦争の頃よりも理不尽な別れは格段に少ないだろう。

それでも、

家族、友達、大切な人。

会いたい人は、
今、会えないけれど会いたい人は、
誰にでも、きっといるはず。

心の糸がほんの一瞬でも繋がったなら
ずっと一緒に年月を過ごしている、ということなのかな。


宇宙から地球を見下ろすように、見渡す範囲を変えてみたら、
そんな風に考えれば、
距離なんてどうでもいいことなのだろうね。
会いたい人と、同じ時間の流れの中に暮らせているということは。
ここ数年、

どこまでもどこまでもチャリ、

これが主たる私の交通手段だったけれど、
ここ最近は、時々車も運転する。

山口にいた4年間は、山陽道、中国道、
そして大好きな、瀬戸内海、関門海峡沿いのあの国道。
越えるたびにワクワクした、関門橋を通って九州へも。



諏訪にいた5年間は、街も里山も高原も山も、そして田んぼや畑の中も。
春夏の新緑と万緑、秋の紅葉、冬の雪の世界。
そう。
雪の世界って白じゃなくて銀色だって気付いたのは、
あの落葉松の林道だったなぁ。



どちらも、走っているとそれだけでうれしい道だったし、
また走りたいなぁと思う道よ。


それが最近はごみごみとした片側3車線。
比較的秩序正しい車の流れだけど、
走行車線にはバスもいれば、急停車するタクシーも。
原チャリ、携帯チャリ、そしてものすごいスピードのスポーツチャリも。

田舎を走ってると経験する、
思わず笑ってもしまうような、大胆突飛でびっくりな
歩行者、軽トラ、トラクター等は見かけないけれど、

ん~~~。
脳機能の運転モードがまったく違うのよ。
気を配る回数が違う。
サイドミラーとバックミラーをチェックする回数はたぶん10倍以上。(~_~;)

なんだか疲れるのよね。
運転=脳のスポーツという感じ。
リラックスできない。
都内の道の運転は、あまり魅力感じない。

アヤは、夜の首都高が大好きだと言う。
あのオレンジ色の光が。
それは若いからよ。ママも助手席なら大好き。


Aはangel 、Bはbeautiful、Cはchaming、Dはdelicious、Eはexcellent、Fはfantastic、
Gはgreat、Hはhallelujah、(バストサイズ表の話らしい)

Hはハレルヤなのかぁ~~!

FMからこんな話が流れてくるのは面白いのだけどね。(^_^;)


☆☆☆



小仏トンネル手前で、とうとう渋滞の数珠の1個になった時、


「子供手当もだけど、高速道路無料化も、
この二つのマニュフェスト、
はっきり言わせてもらうと間違ってるわよっ !」

「だって、1000円でこれなんだよ?
無料になったらきっとこれよりもっと混むでしょ?
高速道路じゃなくなっちゃうでしょ?低速道路だよ。 
利用代金を税金でまかなうなんて間違ってるわよ。
こんなのはさ、恩恵を被る人が支払うべき代償であって、
車持ってない人には不公平でしょ?!その為の有料道路なのだよ!」


と、鼻息荒く文句を言ったら、


子A  「ママもしかして生理前?」  コソコソ
子B  「生理前なんじゃない?」   コソコソ
子C  「そうかもよ」        コソコソ

(最近我が家のみで流行の低俗なセリフ。)

「ちがいます。それにそのセリフ禁止です。もういい加減にやめて下さい。」


子A 「やっぱり生理前かもよ」    コソコソ
子B 「うんうん。」         コソコソ
子C 「しーーーーっ!」       コソコソ


「.........。」



(そして話は四方八方へ飛ぶ。)


「やっぱりね、オンナも伊達にただ40年、生きてないのよ。
初対面でピンとくる第六感って、侮れないのよ。」

「だいたい大のオトコが45過ぎてね、
話をする時に相手の顔を見ないなんて、ありえないでしょっ。
パパの身の回りにいる?そんな人。今時いないでしょ?
いたらとっくに淘汰済みだよね。」

(ここ数ヶ月、5日ぶりに帰宅する週末毎にまずツマの心の澱を
ひと通り聞かされることで週末が始まる我が家のだんな君及び、
こっそり聞き耳立てて社会勉強してる子ら。)


ニューフェイスなその人の横暴ぶり、理不尽ぶり、人間的欠陥品ぶりに、
いかに彼以外の全員が頭を抱えているかを今週もコメントし、
吐き出しきったツマの心はおかげ様でとりあえずはすっきり浄化。


あぁ。

もう一度社会で働くって、自分で決めたことなのだけど、
専業主婦時代には無縁だった、
独特の忍耐と、裏表で表情が違うお面がいくつも必要なのよね。
社会という場には。

ただ楽しいだけの仕事ってこの世の中にはないと思うけれど、
それでも好きなことだから楽しいと思えてる。


☆☆☆

やっぱり運転は、のどかで風光明媚な道が好き。

八ヶ岳麓の道で、野鹿が2頭、目の前を横切って、
この久々の光景にやっと心が溶けました。




今年はあまりにも熱いから、
1日はただただのんびり滞在の日を作ろうと、
最初は2泊のトレッキングの予定を急遽前日に、
一日早く出発することにしました。

清泉寮のコテージが運よくひとつ空いていて、そこに決定。



標高1100mは、涼しかった!!


点在するコテージにはそれぞれに新幹線の駅の名前?がついていて、
我が家が停まった棟には、イエイエ、泊まった棟には
「京都」というプレートがついておりました。



買出しに行く為、いったん山を降りることに。


自炊だから、夏だから、高原だから、やっぱりカレー!
と、全員一致で決定。

農協のスーパーに行き、
まずは、武川産コシヒカリをカートに。
江崎さんのお料理教室でもここのお米なの。
とてもおいしいお米です。
道中、武川村の田んぼも走り抜けてきたので、
今夜のご飯への想いもひとしお。
カレーは、味と辛さに好みがあるので
レトルトを各自好きなのを選ぶことにして、私の主婦のお仕事もお休み。

棚の前で、

ん~~~。1個じゃ足りないかも。
おかわりするかも。
明日はたくさん歩くから。

と思い、
普通のカレーの他に私はグリーンカレーも買いましたわ。(^^)
桃とプラム、桔梗が原のメルローなども。(^^)
トマトジュース、八ヶ岳のジャージー牛乳なども。




夏の夕方の田んぼのにおい。
懐かしいいいにおい。


農作業をされている元気な高齢の方々を
たくさんお見かけする。

やっぱり健康的な食生活と、
体を動かすことと、自然に囲まれた生活は、
長寿の源なんだななんてことも、
色づき始めた田んぼを眺めながら思ってたわ。


日が暮れて、夜になって、
あたりはひんやりとしっとりと、森の、木と土の匂いも濃くなって、
大好きな匂いだから、何回も何回も窓から顔を出して、
深呼吸してた。

網戸にカナブンが張り付いて覗いてくる中で、
森の匂いをかぎながら熱い湯船に浸かり、
お風呂上がりにお水でシャワーを浴びたのだけど、
水というより、冷水!超冷水だった!
全身の毛穴が一瞬できゅっと引き締まるような冷たさ!

これはいいかも、と
湯船と冷水シャワーを3回くらい交互に浴びて、
代謝アップに励んでみたりもした清里高原の夜。



 


3ベッドルームのうち、2部屋は洋室、もうひとつは和室。
エキストラではない普通サイズのベッドが全部で4つ。


5人家族の我が家、誰がどこで寝るかわいわい始まったので、

私は自ら申し出て、

「ママは和室のほうにお布団で一人で寝るから、
あなたたち全員ベッドで寝ていいよ!」

「え~~、ママ寂しくないの?」なんてシンがかわいいことをいう。

「大丈夫だよ。(全然)(→心の声)」と答える。


こうすんなり決まったけれど、夜になったら

「ママと寝たい~」
「僕も~~」


とマユとシンが両隣にもぐりこんできたので、
身動きできない状態になり、
結局私は彼らが寝静まるのを待ちお布団を抜け出して、
ベッドへ移動。のびのびと一人、大の字で寝たのでした。

アリさんがおうちに侵入してきたけれど、すごく快適な滞在だった。
期待していた以上に広かったコテージ。
ドタバタ走り回っても、普段みたいに怒られないから子らも
うれしそうだった。また来たい、と言う。


暖炉を使うような、秋頃もいいだろうな。

昼寝と散歩と読書三昧。いいなぁ。
私もまた来たいな。いつか来よう。


と思う。


「ママ、アリが来なかったらこのお家欲しい?」とアヤ。

「もちろん!でも場所はここじゃなくて、富士見とか茅野の方が
便利かも。それに1100mは、ちょっと標高高すぎかな。
あと、キッチンがもっと広ければいいんだけどね。」と私。

何をゼータクな妄想話してるんだ、ときっと脳内で考えつつ
隣で黙って新聞読んでるだんな君。

(オンナ40過ぎると、人の心もピンポイントで読めます。)






翌朝チェックアウトして、敷地内のブーランジェリーでパンを買いました。



五穀のピタと、オリーブとローズマリーのパンなど。

オリーブの方はもっちりした生地もオリーブも美味しかった。
朝ごはんを食べてまだ間もないというのに、
トレッキングのお昼ごはんの一部にするつもりだったのに、
結局車内でみんなでつまんでしまったのでした。



つづく
今年の夏のあれこれ。

成田山の奥の院の御開帳に行かない?と
母に誘われ、子供が学校に行っている間にさささっと
母子二人でお詣りへ。




>明日だったら、海老蔵ご夫妻の参拝だったのよ。
>何で成田になんか来るの?
>あら知らないの?市川家を成田屋っていうでしょ。
 (以下略。成田屋の由来の説明が延々と続く。)

>成田高校28年ぶりの甲子園で米屋さん、ずいぶん寄付したそうよ。
>何を?水ようかんを?
>何言ってんのぉ~。

道中、こんなワイドショーたいな話から、
親戚の近況などなども聞きながら。


母のあとを付いていったらフルコース。
お坊さんにあの板(正式名称わからん)で、
背中をペシペシッと叩いて頂き、ご祈祷までもついておりました。

背中が軽くなって、肩こりがこれた気がしました。
何か憑いていたのかしら。(笑)


仕事を終えた父をピックアップして、いつものお蕎麦屋さんで、



悩んだけれど、結局私はいつもの鴨南。

主婦となると、
夏場のネギは高いから、通年おんなじ値段は大変だろうな~
なんてことも頭をよぎります。

退院してまだ間もない父は、今日だけ母の特別許可を得て、
エビスでした。
子供たちの帰宅までに戻るつもりだったので、
実家にはほんの少しだけ立ち寄って、
いろいろお土産もらって帰宅。
この二日後、梅雨が明けました。




夏のピーカン天気。仕事を終えて速攻で帰宅して、再び実家へ。
今度は母子で。


実家には年に数回しかいけないのだけれど、
近年は、行くと裏庭チェックがお楽しみ。



ローマ、ボロネーゼ公園のどんぐりの木。

3年前、久美ちゃんと母さんが拾ってきたどんぐりが
我が家のベランダで2本芽を出し、それを、
のびのびと育つようにと実家の裏庭に移殖したら、
すくすくと元気いっぱいに育ち、今では私の背丈をずっと超えて、こんな感じに。
日本できっと、ここにしかないどんぐり。(笑)
そのうち実がなって、秋になったらパラパラふって来る、
なんて日もいつか来るのでしょう。
楽しみだな。
落ちたどんぐりが、屋根に当たる音、聞いてみたい。





今年も九十九里の海へ。毎年同じ海の家です。
おじさんも、美味しい背黒いわしのから揚げも、いわし丼も健在でした。



ツバメもいたるところで巣があって、雛が。
親が戻って来るとお口を開けるのって、本能なのかしらね。
かわいかった。
ツバメの巣を、「汚れるから」って撤去してしまう人もいるけれど、

ツバメが巣を作ると子孫繁栄、家内安全だからって、
そのまま軒下を間借りさせてあげて、
自分たちで汚れないように工夫してる人もたくさんいる。

見かけると、とても心が和む風景です。




大好きな、農産物直売所ショッピング。
今回はタッチアンドゴーで長野行きなので、
戦利品は少。




借り暮らしのアリエッティを見ていたら、
飲みたくなりました。
赤紫蘇を買って、ペリーラシロップ作り。

これは実家に作り置き。

母からもらったおそろいのホーロー鍋、
我が家のはもう、カレーが焦げついててしまったりして、
大分くたびれているのだけれど、実家のはきれい。(笑)
うっかり焦がしカレー、これ以上作らないようにしないと!
と思いながら、帰宅して二倍量のペリーラを作成したのでした。
アヤが国語の授業で、「百万回生きた猫」について
朗読と聞き取りをやったそうよ。

テーブルにポンとおいてあった、
課題の回答と、感想文をチラッと見た。

なかなかうまくまとまっていて、

おぉ。キミもこんなにいい文章を書けるようになったのか。
スバラシイ!

と、我が子ながら感心したので、そのまま素直に褒めた。


> ママも読んだ事あるの?

> あるよ昔。やっぱ授業で。

> なんだか残酷な話だよね。よくわかんない。
  だって、サーカス中にマジック失敗して
  真っ二つに切られて死んだりとか。
  おぼれて死んだりとか。
  そんな話がずっと続くんだもん。


> はははっ!そうだよね。で、どう思った?この話。

> 別にふ~~んてかんじ。なんとなくわかるけど、
  よくわかんない。初めの方の残酷シーンの連続が
  なんかやっぱりちょっと嫌かな。。。


私も昔はそうだった。
なんとなくこの結末のために作り上げられたクサイ話だと
義務感いっぱいで、
でも、多感な高校生としての、
先生が求めてるような模範的感想文を書き上げねばならない、
という空気を感じつつ、無理やり書いた気がするもの。
絵本の挿絵の猫のイラストがあまりかわいいとも思えなかったから
ただ読まされた。感想文書いた。
それだけで終わって、当時の自分の心には何も残らなかったな。



梅雨も明け、夏休み。
シンとマユと一緒に図書館に行く。
百万回生きた猫、絵本コーナーで見つけた。


やっぱり二十数年後の今見ても、
あまりかわいくない挿絵のトラ猫だ。(^_^;)

でもね、昔は感じなかった、胸にぐっと迫ってくるものがあった。



百万人に、百万回愛され、百万回死んで、百万回生まれ変わり、
それでも手に入れられなかった、知らなかったものを、
1人の、心から愛する人に出会えたことで知る。


死ぬことさえもどうでもいい。怖くもない。
何回でも生き返ればいいのだから。

こう思うのは、
自分が一番かわいいから。大事だから。
失うものがないから。失って悲しいものがないから。


心から愛する人に出会えた事によって知る喜びと、
その喜びと背中合わせでついてくる、
いつか来る別れ。その悲しみ。失う苦しみ。



かわいくない挿絵のトラ猫が、
愛する白猫が死んだ時に号泣するシーンだけは、
なんだかものすごくいとおしく思えて切なかった。


> 白猫の後を追うように死んでしまったトラ猫は、
  どうして二度と生まれ変わらなかったと思いますか?


この一番最後にあった問いに、
アヤは本当にいい答えを書いていた。

この話、よくわかんない、なんて言っていたけれど、
この答えの記述を読んだ私は、
思わずぐぐっとこみ上げてきてしまった位だもの。
だからもう一度読んでみたくなって、図書館に行ったのだもの。



あえてここでお披露目はしないけれど本当によく書けていた。

昔の私がそうだったみたいに、
アヤももしかしたら模範的回答をしただけなのかもしれないけれど、

それでも、感想を読んだ人に、この本読んでみたい!
と思わせることができたなら、それはすごいことだと思いました。


百万回生きた猫、いい話です。

夫や妻がいるひと。彼彼女がいるひと。
大好きな人がいるひと。

きっと各々の胸に、
さまざまな想いが去来すると思います。




いい夢は短い。



先月も。





言葉にできたのは、一言だけ。
それだけ。






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