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きらきら さらさら 流れていく日々のこと
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アヤが国語の授業で、「百万回生きた猫」について
朗読と聞き取りをやったそうよ。

テーブルにポンとおいてあった、
課題の回答と、感想文をチラッと見た。

なかなかうまくまとまっていて、

おぉ。キミもこんなにいい文章を書けるようになったのか。
スバラシイ!

と、我が子ながら感心したので、そのまま素直に褒めた。


> ママも読んだ事あるの?

> あるよ昔。やっぱ授業で。

> なんだか残酷な話だよね。よくわかんない。
  だって、サーカス中にマジック失敗して
  真っ二つに切られて死んだりとか。
  おぼれて死んだりとか。
  そんな話がずっと続くんだもん。


> はははっ!そうだよね。で、どう思った?この話。

> 別にふ~~んてかんじ。なんとなくわかるけど、
  よくわかんない。初めの方の残酷シーンの連続が
  なんかやっぱりちょっと嫌かな。。。


私も昔はそうだった。
なんとなくこの結末のために作り上げられたクサイ話だと
義務感いっぱいで、
でも、多感な高校生としての、
先生が求めてるような模範的感想文を書き上げねばならない、
という空気を感じつつ、無理やり書いた気がするもの。
絵本の挿絵の猫のイラストがあまりかわいいとも思えなかったから
ただ読まされた。感想文書いた。
それだけで終わって、当時の自分の心には何も残らなかったな。



梅雨も明け、夏休み。
シンとマユと一緒に図書館に行く。
百万回生きた猫、絵本コーナーで見つけた。


やっぱり二十数年後の今見ても、
あまりかわいくない挿絵のトラ猫だ。(^_^;)

でもね、昔は感じなかった、胸にぐっと迫ってくるものがあった。



百万人に、百万回愛され、百万回死んで、百万回生まれ変わり、
それでも手に入れられなかった、知らなかったものを、
1人の、心から愛する人に出会えたことで知る。


死ぬことさえもどうでもいい。怖くもない。
何回でも生き返ればいいのだから。

こう思うのは、
自分が一番かわいいから。大事だから。
失うものがないから。失って悲しいものがないから。


心から愛する人に出会えた事によって知る喜びと、
その喜びと背中合わせでついてくる、
いつか来る別れ。その悲しみ。失う苦しみ。



かわいくない挿絵のトラ猫が、
愛する白猫が死んだ時に号泣するシーンだけは、
なんだかものすごくいとおしく思えて切なかった。


> 白猫の後を追うように死んでしまったトラ猫は、
  どうして二度と生まれ変わらなかったと思いますか?


この一番最後にあった問いに、
アヤは本当にいい答えを書いていた。

この話、よくわかんない、なんて言っていたけれど、
この答えの記述を読んだ私は、
思わずぐぐっとこみ上げてきてしまった位だもの。
だからもう一度読んでみたくなって、図書館に行ったのだもの。



あえてここでお披露目はしないけれど本当によく書けていた。

昔の私がそうだったみたいに、
アヤももしかしたら模範的回答をしただけなのかもしれないけれど、

それでも、感想を読んだ人に、この本読んでみたい!
と思わせることができたなら、それはすごいことだと思いました。


百万回生きた猫、いい話です。

夫や妻がいるひと。彼彼女がいるひと。
大好きな人がいるひと。

きっと各々の胸に、
さまざまな想いが去来すると思います。



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