きらきら さらさら 流れていく日々のこと
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開局何周年記念ということで、各テレビ局が今、
いろんな特別番組を放送してる。
おとといだったかな、何チャンネルだったか忘れてしまったけれど、
私もこの何十年かの出来事の、報道スペシャル番組を見てました。
世間を騒がせた様々な事件がでてくる中、
やっぱりあの、地下鉄サリン事件のことも出て来た。
私はこの日の事をすごく覚えてる。
風が強い、春先のよく晴れた日でした。
着ていた服まで覚えてる。
この日はね、前日に上司から頼まれて、私は朝、自宅から直接本社の
とある部署へ行く事になっていたのです。
予定通り約束の時間に到着。
書類を渡すだけだったので、用はすぐに済んだの。
せっかく来てるのだからって、
普段なかなか会えない仲良しの同期の部署へ
立ち寄って話したりもしてました。
さてさて、戻れば仕事は山になってるはず。そろそろ帰らねば。
でもたまにはお土産でも買って帰ろうかな~
と、高島屋にも寄り道してオーボンビュータンでモンブランを
買いました。(当時の支社長の大好物)
その頃、世間は大騒ぎになっているなんて露知らず。
お買い物が済んで、さて電車に乗ろうとしたら、
何故だか地下鉄が止まってる。構内は人だかり。
いろんな乗り継ぎの線も麻痺状態。
訳がわからないまま仕方がないから、かなり大回りをして
JRとバスで帰るはめになってしまったの。
寄り道とこの大回りのおかげで
前日にボードに記しておいた帰社予定時刻からかなり遅れてしまっていて、
私は帰りの道すがら、この遅刻をどう説明しようかと、
もんもんと考えてました。
ちょうどその頃。
何が起きたのか、何か毒がまかれたらしい位の事ぐらいしかわからず、
街はパニックで、号外も飛び交っていたらしい。
テレビの中継は、道にうずくまる通勤途中の大勢の人々や
パニックになってる聖路加病院のロビーが映し出されていて。
首都圏の部署には本社からこの事件についての全店ファックス。
社員の安否確認をするようにと。
会議室のテレビでニュースを見ながら
おろおろ青ざめていたのは支社長だったそうよ。
私がいない。帰ってこない。
しかも、本社へお遣い。まさにその時間。自宅からはそのルートの路線。
お遣いを頼んだのは自分。
部長からは電話が入るし。
携帯もない時代よ。連絡のつけようがない時代。
ただ本社では、確かに書類、○○さんより受け取りましたと、
確認は出来た。
1時間位、騒然としてたらしいです。
そこへそんなこと何にも知らない平和な私が裏口から、
モンブランを持って、
「ただいま帰りました~。遅くなりました~。」と、帰社。
一斉に振り返って私を見る、フロア全員の顔、顔、顔。
「な、な、何事でしょうか?」
2階の部署の人たちまで下りて来て、
大騒ぎになったのでした。
ケーキ買いに寄り道したことをお詫びしたけれど、
(同期のところへの寄り道の事はね、割愛したの。(^_^;))
今思えば、電話の1本くらい、公衆電話から入れておけばよかったのね。
いいよいいよと、
そのモンブランのお代金まで支社長が出して下さったのでした。
千代田線にサリンがまかれたのは、私が実際に乗った1本か2本あとの電車だったらしい。
帰社した時は、笑い話だったけれど、
しばらくしていろんな事がわかってきて、そうしたら恐怖は後からやって来たわ。
地下鉄に乗るのが怖くなってしまって。
乗らないと会社に行けないから、毎日乗っていたけれど、
ラッシュの車両に乗り込むたびに異様な恐怖感はかなり長い間感じてた。
通勤はまだJRだからよかったの。
地下鉄は、しばらくの間、本当に怖かった。
座席下に転がってるゴミ袋などにも反応してしまったし、
傘持ってる人がいたら、その車両から下りました。
2年くらいトラウマは続いたかな。今はすっかり平気だけれど。
もう14年近く前の事なのね。
巻き髪、カチューシャ、小花柄のワンピースにトレンチ。
当時の流行そのもののかっこだったわ。
今となってはすっかり大昔の遺産ね。(^_^;)
苦丁茶、というものすごい苦いお茶。
未だもってこれより苦いものを口にしたことないわ。
宇部にいる時オットが善意からタダで押し付けられてきたのだけれど
誰も飲まない。もう6年くらい経ってることに気付いた。
ので、そろそろ。。。
最後の一服を私がしました。
罰ゲーム並みの苦さよ。
いろんな特別番組を放送してる。
おとといだったかな、何チャンネルだったか忘れてしまったけれど、
私もこの何十年かの出来事の、報道スペシャル番組を見てました。
世間を騒がせた様々な事件がでてくる中、
やっぱりあの、地下鉄サリン事件のことも出て来た。
私はこの日の事をすごく覚えてる。
風が強い、春先のよく晴れた日でした。
着ていた服まで覚えてる。
この日はね、前日に上司から頼まれて、私は朝、自宅から直接本社の
とある部署へ行く事になっていたのです。
予定通り約束の時間に到着。
書類を渡すだけだったので、用はすぐに済んだの。
せっかく来てるのだからって、
普段なかなか会えない仲良しの同期の部署へ
立ち寄って話したりもしてました。
さてさて、戻れば仕事は山になってるはず。そろそろ帰らねば。
でもたまにはお土産でも買って帰ろうかな~
と、高島屋にも寄り道してオーボンビュータンでモンブランを
買いました。(当時の支社長の大好物)
その頃、世間は大騒ぎになっているなんて露知らず。
お買い物が済んで、さて電車に乗ろうとしたら、
何故だか地下鉄が止まってる。構内は人だかり。
いろんな乗り継ぎの線も麻痺状態。
訳がわからないまま仕方がないから、かなり大回りをして
JRとバスで帰るはめになってしまったの。
寄り道とこの大回りのおかげで
前日にボードに記しておいた帰社予定時刻からかなり遅れてしまっていて、
私は帰りの道すがら、この遅刻をどう説明しようかと、
もんもんと考えてました。
ちょうどその頃。
何が起きたのか、何か毒がまかれたらしい位の事ぐらいしかわからず、
街はパニックで、号外も飛び交っていたらしい。
テレビの中継は、道にうずくまる通勤途中の大勢の人々や
パニックになってる聖路加病院のロビーが映し出されていて。
首都圏の部署には本社からこの事件についての全店ファックス。
社員の安否確認をするようにと。
会議室のテレビでニュースを見ながら
おろおろ青ざめていたのは支社長だったそうよ。
私がいない。帰ってこない。
しかも、本社へお遣い。まさにその時間。自宅からはそのルートの路線。
お遣いを頼んだのは自分。
部長からは電話が入るし。
携帯もない時代よ。連絡のつけようがない時代。
ただ本社では、確かに書類、○○さんより受け取りましたと、
確認は出来た。
1時間位、騒然としてたらしいです。
そこへそんなこと何にも知らない平和な私が裏口から、
モンブランを持って、
「ただいま帰りました~。遅くなりました~。」と、帰社。
一斉に振り返って私を見る、フロア全員の顔、顔、顔。
「な、な、何事でしょうか?」
2階の部署の人たちまで下りて来て、
大騒ぎになったのでした。
ケーキ買いに寄り道したことをお詫びしたけれど、
(同期のところへの寄り道の事はね、割愛したの。(^_^;))
今思えば、電話の1本くらい、公衆電話から入れておけばよかったのね。
いいよいいよと、
そのモンブランのお代金まで支社長が出して下さったのでした。
千代田線にサリンがまかれたのは、私が実際に乗った1本か2本あとの電車だったらしい。
帰社した時は、笑い話だったけれど、
しばらくしていろんな事がわかってきて、そうしたら恐怖は後からやって来たわ。
地下鉄に乗るのが怖くなってしまって。
乗らないと会社に行けないから、毎日乗っていたけれど、
ラッシュの車両に乗り込むたびに異様な恐怖感はかなり長い間感じてた。
通勤はまだJRだからよかったの。
地下鉄は、しばらくの間、本当に怖かった。
座席下に転がってるゴミ袋などにも反応してしまったし、
傘持ってる人がいたら、その車両から下りました。
2年くらいトラウマは続いたかな。今はすっかり平気だけれど。
もう14年近く前の事なのね。
巻き髪、カチューシャ、小花柄のワンピースにトレンチ。
当時の流行そのもののかっこだったわ。
今となってはすっかり大昔の遺産ね。(^_^;)
苦丁茶、というものすごい苦いお茶。
未だもってこれより苦いものを口にしたことないわ。
宇部にいる時オットが善意からタダで押し付けられてきたのだけれど
誰も飲まない。もう6年くらい経ってることに気付いた。
ので、そろそろ。。。
最後の一服を私がしました。
罰ゲーム並みの苦さよ。
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